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まぎのPC話

第7回 PCと私(その7)

挑戦と挫折?:オリジナルPC Hey01 ~稼動編~


~前回までのあらすじ~
所有していたPC98君がもはや限界と感じた私は、新しいPCを組み立てるべく、 会社の同僚を巻き込んでパーツを探す旅に出、必要なパーツを揃えた。 苦戦しつつも2日がかりで組み立てたが、結局ディスプレイを買うまで使えなかったとさ。


さすがにディスプレイはお持ち帰りできなかったので、配達してもらった。 その週の土曜日。待ちに待ったディスプレイが到着。早速自作PCに取りつける。

わくわくしながらスイッチON! 画面には、BIOS起動画面が表示された。無事に動いたようだ。 ……って、あれ?HDDアクセスランプがつきっぱなし……。 HDDにアクセスすると、電源ランプがピカピカする。 どうやら、ケーブルを逆につけてしまったらしい。すぐにケースを開け、ケーブルを差し直す。 これで大丈夫だろう。再びスイッチON!今度は大丈夫のようだ。

買ったばかりのHDDをフォーマットし、いざWindows 98をインストール。 インストール中、何回か再起動するのだが、そのうちCD-ROMを認識できなくなった。 あ、あれ?今度はなんなんだ?

再びケースを開け、CD-ROMドライブをよく調べる。どうやら、ジャンパーピンの設定があっていないようだ。 ふと、思い出した。最初はIDEケーブルが一つしかなかったため、プライマリ・スレイブで繋げていた。 だが、IDEケーブルを購入したので、セカンダリ・マスターに繋げ直したのだった。 繋げ直した時、ジャンパーの設定を変更し忘れたのだろう。 ジャンパーの設定をセカンダリ・マスターで認識できるように修正し、三たびスイッチON。

今度は無事にインストールが完了した。やれやれ。

それからしばらくの間は、無事に動いていた私のニューPC。 しかし、平穏な日々は長くは続かなかった(笑)

借りていたグラフィックボード。同僚が急に必要になったらしく、返してくれと言われたのだ。 確かに、ずっと借りているわけにもいかず、急遽新しいグラフィックボードを探す旅に。 また同僚が付いて来てくれた。

その頃の私は、未だパーツ類のことは何も知らず、何を買えばいいのかサッパリわからない。 同僚が勧めるまま、当時発売されたばかりのカノープス製「SPECTRA2500」を買った。 当時の値段で約3万円。高価なものだが、確かにそれに見合ったパワーがあった。

早速取りつける。無事に窓起動画面へ。 ……?あれ、音が出ない?おかしいなぁ……。

調べてみると、サウンドボードのみでなく、PCIスロットに挿さっていた全てのボードが認識されなくなった。

(そのころは、サウンドボード、LANボードが挿さっていた。) なぜに!?ボードがいかれたのか?二ついっぺんに? LANボードは、ISAのものがあったのでそちらで代用。 サウンドは、しばらく音なしで我慢した。

しばらくして、サウンドボードを代えることにした。 当時では最高スペックの一つであった、「サウンドブラスターLive!」である。 帰宅後、ワクワクしながらボードを交換した。しかし、スピーカーからは音は聞こえなかった……。

最初は「まさか、初期不良か?」と疑ったが、良く考えると変なのである。 そう、すべてのPCI機器が使えないというのは、どう考えても異常だ。 もしかして、マザーボードの方がイカれているのでは?

その後、1万円ほどのマザーボード(結構人気があった品だ)を購入。マザーボードを交換してみた。 このマザーボード、クロック数はBIOSで変えることができるスグレモノだった。 そして、窓起動!スピーカーからは聞きなれていた窓起動のサウンドが。 やはりマザーボードが壊れていたらしい。 買って約3ヶ月で壊れた2万5千円のマザーボード…教訓にするには高かったと思う。

= つづく =

おまけ
マザーボードが壊れた原因は何だったのだろうか?
今となっては想像の域を越えないが、おそらくビデオボードを交換する際に、
静電気で壊してしまったのではないだろうか?
その頃の私は、静電気の怖さをまるで認識していなかった。
現在では、異常なまでの静電気対策をおこなってからPC内部をいじるようにしている。

(1999/11/27)

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